国際情勢ヨタ話〜最後の的はやはりあいつら!
日本を焼け野原にしたのは、一体何処の国なのか?
〜何度でも言おう、中共、朝鮮人、そして露助は敵ではない〜
〜何度でも言おう、中共、朝鮮人、そして露助は敵ではない〜
1945年3月9日深夜から10日未明にかけて、米陸軍航空隊は「ミーティングハウス2号作戦」を実施、サイパン島航空基地より325機に及ぶボーイングB-29スーパーフォートレス爆撃機の大群が東京上空に殺到、下町住宅街の風上から焼夷弾投下を開始し、民間人の逃げ場を失くすように爆撃を繰り返した。これにより、「帝都」の下町は阿鼻叫喚の地獄絵図に様変わりし、一晩で11万5千人が死んだと言う。正に、神をも恐れぬ鬼畜の所業である。
日本軍側は折りからの強風で房総半島や三浦半島の防空電波探知機(レーダー)がマトモに使用出来ず、B29が目視可能な距離に入る迄その侵入に気付かなかった。日本陸軍は第10飛行師団に対して緊急指令により迎撃を命じ、一式戦闘機隼三型や二式戦闘機鐘馗二型、二式複座戦闘機屠龍丁型など総計42機を迎撃に上げる。海軍は、横浜第302航空隊の、日本軍では珍しい航空電波探知機搭載の夜間戦闘機月光二一型を4機出撃させた。
迎撃に上がった日本軍戦闘機部隊だったが、排気タービン(ターボチャージャー)を搭載したB-29の高空性能に翻弄されながらも、41機ものB29を撃墜した。特に陸軍航空隊の奮戦ぶりは凄まじく、肉薄攻撃によりB29を撃破した。
だが、日米の科学力及び工業力の差は如何ともし難く、B-29が搭載するブローニング12.7mm機関銃弾道の直進性は、日本軍戦闘機を容易に近付けさせなかった。それに対して、日本軍戦闘機が主に搭載する20mm機関砲の弾道は、弾がお辞儀してしまう、所謂「ションベン弾」で、高速機動する米軍機撃墜は困難を極めた。また、高空に上がる際に必要な酸素ボンベや電熱服が粗悪品で、酸素不足や寒さで気絶する搭乗員が出る始末で、まともに米軍機との戦闘を行えない機体も多数出た。