この国にろくな未来はない。明るい未来は大規模な混乱からしか生まれない
となれば、なるべく早く生き方をコンパクトにまとめて、とっとと死ぬようにするしかない。未来があるなら別だが、二階堂としてはもうそろそろ役目を終え、新しい形態にシフトする時だと思っている。終わりが見えてる奴らは備えろ。ダメなら死ねばいいだけ。最悪でも死ぬだけなのだ。恐れず焦らず、なるべく早く縮小して備えろ。
一方未来のあるやつは、テレビやネットを見ないで勉強と仕事に励め。もちろん子育てもだ。iPad子供にぶん投げて終わりなんてのではなく、きちんと絵本を読み聞かせる親となれ。そしてこの世の不合理と無茶苦茶さを子供に教えろ。平等なんて教えるから後でおかしくなる。そんなものはねえし、努力は報われないし、要領のいい奴が勝つと教えろ。どんな手法でもいいから勝て、ずるい、卑怯は敗者の戯言、負け犬はダメだと。
もう、ぬるく生きているやでは損しかしない。50年前と違うのだ。
以下投稿。おっしゃる通り。
二階堂 様
いつも楽しく拝見しております。
お目汚しになってしまい、大変恐縮ですが以下の2つのニュースを見て考えさせられました。
news.yahoo.co.jp/articles/47e714360369ed9e5b8ed5f99733a19ab5690eef
news.yahoo.co.jp/articles/a44fa0dd1f30686d27b5e4239aa61f26853a8c07
ニュースの主旨は、認知症と同性婚です。
いずれもこの国の未来には役に立たない連中が原因で国がおかしくなってしまったなと感じた次第です。
まずは認知症。
増える一方の高齢者が心身共に健康ならまだしも、認知症や寝たきりになってしまった場合、現役やあるいはこれから幸せになろうとする若者達が、どこまで自己犠牲すべきなのか、ということです。
これに関しては世代間闘争の様相を呈していますが、人口の多い高齢者が選挙で有利なため、政治的解決は全く期待できません。
であれば各家庭で各人が意思表示して、せめて身内だけでもそういった犠牲にならないように配慮するのが限界です。
もし自分が認知症や寝たきりになってしまったら…そう考えると恐怖しかありません。
人生を楽しめず、子孫や国の役にも立てず、ただ食って糞尿を垂れ流すだけの迷惑な余生などまっぴらごめんです。
しかし、本人がいくら死にたいと願っても主に医者と法律がそれを認めず、延命措置が続いて医療費が高額になり誰一人幸せになれません。
命そのものを至上とし、行き方や人生といった命の使い方については、まったく考慮されていません。
現在の死生観で言えば、人が生まれる時も死ぬときも、本人の意志は尊重されていないことになります。
これが果たして健全な死生観なんでしょうか?
生まれる時は流石に意思表示できませんので、せめて死ぬときぐらいは自分の命を合法的に終わらせる権利があっても良いのではないでしょうか。
孤独死(+その後処理)、年金破綻、医療費、社会保険料、相続など、この権利があることで改善できる課題は多いように思います。
高齢先進国として日本が世界に先駆けてこの権利を認めれば、多少なりとも未来に期待ができるのですが…まぁ無理でしょうね。
次に同性婚。
基本的には同性婚を国や自治体が認めようが認めまいが、好きな者同士がひっそりと好きに生きれば良いじゃんよと考えています。
ひっそりと生きず、この手の裁判を起こしたり、デモったりして、自らの異常さを周囲にアピールするのはやはり遺伝子レベルで頭がおかしくなっているのでしょう。
もちろん、子孫を残せない生物には「生物としての価値が無い」のは当然であり、その価値観はつい50年前までは当たり前の価値観でした。
しかし、時代は変わってしまいました。
もうこの際、同性婚という夫婦のようなものに対しても、婚姻関係を国が認めてやればいいのです。
ただし、Dinks、生殖不良、同性婚といった子孫を作れない連中にも枠を広げて、養子縁組、または大幅増税という義務を課せばよいです。
同性婚をきっかけにして、Dinksや生殖不良といった不良夫婦まで影響範囲を広げた方が少子化問題は緩和される可能性が高まります。
子孫を残せない、育てない夫婦には、その分税金をたくさん納めてもらい、まっとうな子育て世代を支援してもらう必要があります。
※養子縁組も子育て世代に含まれる。
国や未来に対する貢献という観点からは、それでこそ公平と言えるでしょう。
いずれにせよこの国は、声の大きな連中が幅を利かせるヤクザな国になってしまいました。
日々を真面目に生きてきただけの大多数の国民は、徐々に生活水準を押し下げられて精神的な余裕を失い、ちょっとしたことで切れたり、クレーマーになったり、煽り運転したり、ネットで誹謗中傷する低レベルな下民に成り下がってしまいました。
この潮流を押しとどめ、本来の在り方に戻すのはもはや手遅れ。
富士山噴火や東南海地震、それを契機に共産党が攻め込んできて、日本が南北に分かれて東西の傀儡政権が立つ。
数十年後にそこから独立・統合するぐらいの刺激がなければ日本復興は不可能でしょう。
日本人であり続けたいと思いつつ、もう手遅れという想いも先立ち、非常に忸怩たる思いを感じています。
せめてもの慰みに、二階堂様の記事を読みながら溜飲を下げるのが常となってしまっています。
今後とも楽しい記事を期待しております。
お体にご自愛くださいませ。