悩むこと、その先は?

「こういうふうになればこうしてこうできるから。大体こういうふうに流れをつくれる」

という仕事の流れを作るのは天才なので、物事は進んでいくし、俺の手を離れてもみんなうまくやっていくんだわ。

ただ、俺の自分の仕事の場合そこに「特殊なやる気」の出る条件が揃わないと、やめるわ、と言って降りてしまうんだよね。降りる事にためらいがまるでないからね。だめならだめでもういいや、全部やめます精算します、ですぐあきらめるから。

去年くらいからすっかりダメな更新しかしないでしょ?実は去年10月くらいに、年末で全部やめようかと思ってたの。特に生きてても面白くもないやと思ってね。やりたいこともやったし。
ところがそこで面白いこという人がいて、まぁそれなら続けますかという事にしたんだけど、それでも面白いことにもリミットがあるわけ。二年という。おそらくそこが終わりだなと思っているから、二年で閉めると予告してるの。二年くらい準備期間ないと何かをやめるにしても周りが大混乱するからね。生活かかってるやつもいるから。だから、やめる準備はしとけよってのをいうためにしてる更新でもある。

悩むというのはそれなんだ、二年後にどうしようかと。俺の号令でいつでもどうにでもなるし皆最後は俺に何も言えない。消えてしまえば言うこともできないからね。

ちょっくら生まれてきた時期が悪かったな。まぁいいか、十分楽しませてもらいましたから。
しかし、俺の中にも続けたい気持ちがあるのよ。二階堂ではなくて違う形態ね。こんなサイト捨ててもなんの後悔もないから。むしろ25年もやったものに縛られて生きている方が、名誉や地位に縛られる使用人のクソ老人みたくなってよくないからね。

まあおそらく2年後には二階堂はしめるとおもう。

雑誌をやるかもしれないし全く違う業界かもしれない。とすればこのサイトいらないのよね。むしろ邪魔だもん。

あるいは、もう新しいことなんもしないで、俺は一人でポケッと生きてるだけということもできる。車もバイクも全部降りて田舎にぽつんとあるうちの微々たる資産を食いつぷしてそのまま行方不明的な。まぁそれはそれで自然に帰るということでいいなあとも思う。

ただ、すべてはその時が来なければわからない

もちろんそうだ。しかし、ありとあらゆる可能性、それも最悪の可能性を考えておかないと、期待しててコケましたってのが一番ショックデカい。それこそ勢いで死んでしまいそう。

なのでしばらくはたまにこう言うのを書いていきます。書くことというのは精神安定効果があるのですよ。