京都の松原物産

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昭和の時代、京都のパチンコ屋は、全国制覇していたと言っても過言ではない。高山物産、第一物産、松原興産、etcこれらパチンコチェーン店は朝銀、商銀(総連、民団)をバックに全国展開し、その隆盛は凄まじかった。

西は京都、東は神奈川が、総連、民団の重要な拠点だったからだ。
やがてバブル期の融資で高山物産、第一物産など大手が破綻処理に向かう中で、松原興産だけは、少し違っていた。先代は遊ぶときには、京都ではなく、わざわざ名古屋に出向いて遊ぶなど、他の遊技場経営者とは、ひと味違っていた。裏の世界とも少し距離を置き、また警察OBなどの雇用からも縁遠かった。

そんな松原興産が新聞誌面を飾ったのは48億の所得税の脱税事件だった。懲役間違いないと思われた松原興産の兄弟を救ったのは、かの弁護士会会長の懐刀と言われた国税上がりの弁護士だった。

それ以後、松原興産は、さらに隆盛を極めて昨今では日産自動車の城陽工場跡地を購入し開発するような、京都でも優良企業となった。

ただ、その国税上がりの弁護士も引退し、松原興産も息子の時代になって、色んな問題が起きてきてるのだろう。ここも時間の問題だろうな、こんなチンケな事で反訴するなんざ、、、、

いずれ裏の世界の住人の美味しい、お客様と、なる前兆なのだろう。京都は怖い。